メケメケ 意気地なしのケチンボ
 メケメケ 手切れの金さえくれない

 「メケメケ」で一世を風靡し、長年にわたって、私のシャンソンのイメージを担っていたのがこの三輪明宏殿である。

 とーちゃんのためなら、エーンヤコーラ
 かあちゃんのためなら、エーンヤコーラ

  「ヨイトマケの歌」で社会派デビューした三輪さんは、最近の記憶じゃ「もののけ姫」の『黙れ小僧!』なんて台詞でお眼にかかるくらいに露出が減ってしまった。あとは数年前に「台風が首都を直撃しないように竜神に祈ったら、台風は方向を変えていったわ」などと神がかり全開の発言を「笑っていいとも!」でしていたなあ、と。

 さて、私はかのお方がかなり好きなのであるが、それはやはり伝説的な逸話によっている。
 「銀座に紫色の頭の、きれいなオバケが出る」と15-16歳頃から言われていた三輪さまだが、既に三島由紀夫と親交が深かったと見える。
 ある夜、三島は一人の男を紹介した。…江戸川乱歩であった。
 乱歩は噂の美少年に次のように質問する。(以下、筆者のイメージ再現表現を過分に含みます。あしからず。)

「いったいきみには、何色の血が流れているんだろうね…実際に見てみたいものだよ」

「おやめなさいまし。虹色の血が流れて,貴方のお眼がつぶれますよ」

 以降,彼が黒蜥蜴を演じ続けていたのは,ご存知のとおり。
 
 人を魅きつける,という点において,突き抜けた,早熟な少年。
 かれは年をとってなお,突き抜け続けている。そういう「突き抜け感」が,わたしは大好き。 
 ある意味でビジュアル系?

 「シャンソン」というものの私にとってのイメージは、「三輪明宏」に代表されていた。そしてそれはいつも、華やかさと退廃とに彩られていた。
 男性のシャンソン歌手が女性の心を歌い上げる、その中性的な感覚が退廃を呼ぶのだろうとも思う。
 
 正直なところ、シャンソンの正確な定義など知りもしないので、あくまでイメージ、つまりは私の思い込みによる発言になってしまうのは否めない。
 シャンソンにはドラマがある。ずばりストーリー仕立てであることも多い。また、人生の喜び・悲哀・愛・死という、演劇的要素を盛り込みまくった歌である。また、そのドラマティックな要素は歌い手にも必要とされている。いかに叙情的に歌い上げるのか?そこにはナルシシズムとも受け取れるほどの自己陶酔がなければならない…。

 徹底、その自己陶酔への徹底、ドラマへの徹底、男女のボーダーラインへの徹底、その「奇人」と評されかねない紙一重の徹底ぶり、そういうものが持つ力というのを、シャンソンというジャンルが、ガレージシャンソンショーが提示したと思った。
 
 すばらしきプチ・ブルジョワ
 どーにかなるさ、なんとでもなるさ
 幕切れはひとり、
 どーにもならない、なんともならない

 彼ら自身、「ななかいのバラジョー」の中で自らをこう語る。
 
 …「みょうちきりんなガレージシャンソンショーを名乗る二人組みが」…

 このぎりぎりのラインが潔いのである。猟奇的で退廃的な、江戸川乱歩的な時代を象徴するような、虚無への供物としての音、歌、…まあいずれにしても―

 シャンソンは復活を果たした、ガレージにおいて。
 
 ていうか、最近オーバーワークなんだけど、オーバーワークなんだけど、オーバーワークなんですけど!
 これがほぼ毎日朝ごはんとなりつつある、今日はこれすら食べている余裕がなかった。やっとゆとりが出来た頃にはお昼だし、どーするのよ?残念っ!

 でも、これは本当においしくて、個別包装のパッケージングを開封したときなんか、まるで「プーさんのハニーハント」の最後のほうで、ハチミツ大砲にバフッとやられたときみたいに、幸せに甘い香りがする。
 
 ほんと、こんなこと書いている余裕なんて本当はないくらい、やるべきことがたくさん残っているのに。
 忘れもしない、(といいながらも)おそらくあれは82年、ラジオからはAfricaが流れていた。私はまだ非常に幼く、姉の部屋から漏れるそのラジオのおんがくは、記憶の片隅に残っている程度であった。

 そのTOTOに、中学生、思春期の私は再会することになる。

 ジェットストリームか何かで特集されていたのか、やはり同じFMの電波からTOTOは流れ込んできた。Africaだった。
 思春期、まだ感受性が豊かだった私は、そんなに動物が大好きでもなく、アフリカどころかサファリパークすら行ったことがないくせに、アフリカの大地を思い浮かべては、訪れる朝焼けに長い影をのばす木、早起きの動物たち、しとふる雨を感じていたものだった。

 そんなわけで、このアルバムは私にとって思い出の一枚になっているのだけれど、私がフリッパーズギターをたしなむようになったきっかけを与えた当時の友人ゆきちゃんは、「彼らはバンド名を決めるときに、日本人に受けそうな名前にしようと思って、日本でよく見かける名前にしたらしいよ。」

 …つまり、東洋陶器ですか。

 おそらくその名前をよく見かける場所というのがレストルームであったとしても、それはそれ、TOTOへの思いは動じないのである。
 スタジオミュージシャンの集まりだったせいか、TOTOは脱退・メンバー入れ替えを繰り返す。っていうか、ボーカルがいつも違う。でも生まれてくる音はTOTOだった。

 確か、90年代の終わり頃、ドラムのジェフ・ポーカロが全米ツアー直前に庭で除草剤を使っていて中毒か何かを起こして急死した。日本ではデビューライヴで一緒に演奏してもらったSing Like Talkingが追悼の歌を作った。TOTOは終わったかと思った。

 しかし、もううろ覚えだが、結構前にTOTOのギタリストがボーカルまで兼任してアルバムを出していた気がする。「Don’t chain my heart」とかなんとか。それまでのTOTOのイメージを大きく変える骨太なアルバムだった。
 どんなボーカルが参加しても守られてきた「TOTOらしさ」が変革したきっかけが、もともとのギタリストだった、ということが感慨深い。外部からの変革ではなく、内部からの革命、内部からの破壊、まさしく北斗神拳。Youはshock。

 疲労のせいか、脈絡がない。
 テレビではアフリカの動物たちが「Africa」をバックに草原に横たわっている。わたしの上にも潤いの雨が降り注ぐとよいのだけれど。 
 とても迷っていることがある。
 とても悩んでいる。
 それは、

 ローソン限定、水曜どうでしょうの「どうでしょう本」と「限定DVD」を買うかどうか、ということだ。

 深夜、本当に深夜(2:15より)に再放送され続けている不滅の番組。わたしの友人は、1限の講義に遅刻してくることがあったのだが、その理由は、前日の夜に「どうでしょう」を観ているせいだとわかった。以来、私も観ている。試験前などに精神状態が限界に近づいているときなど、よくなごませてもらった思い出の番組だ。

 さて、表題の「北海道限定芸人」の標語は、いまや伝説の番組、「パパパパパフィー(パの数が正確かどうかは不明)」に、大泉君が出演した際のパフィーの説明である。だから、私のオリジナル表現ではない。ファンの皆様、怒らないでね。
 大泉君は北海道の演劇界ではすでに大御所的存在なのではなかろうかと思われるふしもある。しかし詳細不明。道民じゃないもので。

 どうでしょう、といえば、大泉君もさることながら、「ミスター」も忘れちゃいけない存在感のある出演者である。よく無理やり甘いもの(例・仙台ずんだもち)を食べさせられていたが。ミスターは甘いものが大嫌いだったなあとか、いつも早く帰りたがっていたなあなどと思いだす。

 おそらくここから先はかなりわたしの思い込みの要素が多いとは思うので恐縮であるが、「水曜どうでしょう」および「どうでしょうリターンズ」は同士愛と友情とロマン(←わたしのツボである)にあふれた番組だったと思う。あのグダグダ感も深夜にふさわしかったし、終わらない夢を見続ける、ロードムービー的な感動大作でもあった。
 っていうか、自分たちのやりたいことをおもしろおかしくやっているのだろうけども。

 やっぱり、買っちゃおうかなあ。
 
 
 少し年上の人が私に、「ちょっと明治辺りの古典を読んでみなよ」というので、お気に入りの中の一冊であるこの文庫本を手に取る。
 
 漱石の文体は漢文調なせいかどこかしら濶舌がよく、彼が語る神秘や夢想というものは、その文体の彼方に、自己陶酔的な視点から少し遠ざかった位置に、配されることでむしろその事象の特定を上手に避けている感じがする。

 何を言いたいかというと、「昔の女の幻想」や「夢十夜に描かれる夢」は、本当にその女がいたのか、とか本当にその夢を見たのか、という実在によらず、「女」「夢」という『観念そのもの』を語ることが可能になっている。それは、彼の文体が自分-筆者-文章として、「私が、」と語りながらも必ずしも私小説にとどまらない硬度を持っているからではないか、ということである。

 いずれにせよ、私がうまく説明出来ないようであるのは間違いない。

 さて、「文鳥」には常に「女」のイメージが投影されている。

 三重吉が文鳥を勧める際、「千代」を文鳥の鳴き声に投影して物語りは始まる。千代は三重吉の恋人であったかは定かではないが。
 しかし三重吉は文鳥を勧めておきながら、なかなか持ってこない。筆者は焦らされる。古今東西、ふぁむ・ふぁたーるは焦らすものだ。

 その「焦らし作戦」は功を奏したのか、筆者は文鳥のくびの動きに、裾さばきに「昔の美しい女」の影を重ねて文鳥を愛する。この場合、昔筆者にそのような美しい女の存在が本当にあったのか、というのは大きな問題にはならない。文鳥が体現するところの昔の美しい女、とは、筆者にとっての「女」それもふぁむ・ふぁたーるの象徴であるからだ。

 この短編の絶妙なところはこの後にある。

 愛らしい小鳥を女に例えて賛美したり愛玩するのは小説上よくあるイメージ・プレイにすぎない。
 この後、筆者は文鳥に「飽きる」。

 一度「手に入れた」と認識したものに対して、人は醒め行くものなのかもしれない。美人は3日もすれば見飽きるともいう。
 「付き合っているころはやさしかったのに、結婚したらないがしろにされるようになった」という発言は、おそらく結婚した女たちの大多数が一度は思うことであろう。
 
 飽きてしまえば世話は次第におろそかになる。自らは手を出さず放置し、家人に世話を任せきることとなる。そのため、文鳥は猫に襲われる。 

 またまた秀逸なのが、ここで筆者が、一度は文鳥への興味を取り戻すことである。襲われた翌日は餌も水もたくさん与えるのだ。
 猫に襲われる、といった出来事で「文鳥を失うかもしれない」「奪われるかもしれない」という事実に思い至り、執着心が湧いたようである。恋敵がいたほうが恋の炎は燃えるということか?
 ある恋人たちは、互いに浮気疑惑が浮上しては喧嘩し、別れるの別れないのと騒いでは、いつの間にか仲直りする、ということを繰り返して5年以上も付き合っていた。たとえ不安定でも波風が立ったほうが恋の嵐は吹き荒れる、ということだろうか?

 しかしやはり、飽きるのである。そしてやはり、文鳥を失うのである。厭らしい性癖ではあるが、人はただ愛らしいだけでは飽きてしまうものなのだ。
 さらに厭らしいことに、筆者はその死を、家人に転化する。
 自分が飽きたこと、飽きて世話を怠ったこと、だから文鳥は死んだのだと筆者は充分に理解している。だが、愛するもの・愛していたものの喪失で思わず高ぶった感情は、やはり他人に怒りの矛先を向けるのである。ああ、なんて卑怯なわたしたち!

 わたしたちのいやらしさ、卑怯さ、そういうものをひっくるめて文鳥は息絶える。木の根元の土手に眠る。しかし文鳥をもたらした三重吉は誰のことも責めはしない。それは三重吉が出来た人だったからか?それともあくまで他人事だったからか?
 
 …わたしはおそらく後者ではないかと思う。

 頭の切れる漱石のすることですもの、最後の最後まで皮肉にわたしたちの卑怯さをさまざまな手段で明るみに出す、ってことじゃないかしら?
 
 
 キム兄やん、こと、キム・ニールヤングである。
 
 いや、この場合、「こと」ってどういうことよ?

 元ホテルマンのキム兄やん、関東圏に住まう私がお目にかかれるのは、以前は「ガキの使い〜」くらいであったが、最近はMathewにも現れてくれるし、おかしな深夜番組にも出ているので、私はうれしい限りである。あと、雑誌Hanakoかなんかで、コラムを書いていなかったかしら?

 キム兄やんに言わせると、「なべ奉行はまだまだ下っ端。おれはなべ将軍や!」
 というわけで、鍋料理メインの本です。

 なべといえば、最近できた和食居酒屋ダイニング(?)の「とろとり鍋」がお気に入りです。
 まず、とりのつみれと野菜の鍋を、とりのお出汁でいただいた後、おもむろに鍋にとろろを流し込み、地鶏に火を通して、細く切ったレタスとお葱をさっと煮て、はふはふといただく。
 あらかた片付いたら、ご飯を頼むと、こねぎと生卵とともに現れ、鳥のうまみの凝縮したスープで雑炊ができるわけです。これもはふはふ言って食べる。うどんバージョンも可。

 夏に、ノースリーブを着ていただくあつあつのお鍋は、なんだかとてもおいしくて、それは冬にコタツで食べるアイスクリームに似た現代的プチ贅沢なわけで。そういえば、ロシア人は氷点下にもこもこと毛皮を着込んでアイスクリームを食べる、と聞いたけど、なんだか親近感が湧いてしまうじゃないの。
 
 
 この人、本気ですねえ。前作ロミオ道行に比べて、芸人という枠にとらわれず、多分この人が昔からやりたかったことをきっちりやり始めた、という印象がありますねえ。

 私が藤井隆を好きになったきっかけは、Mathewが松浦亜弥によせたコメントであった。
「最初はぁ、なんていうのっ?あややとかいうて何なのこの娘はって思ってましたけどっ、もういい、どこまでも本物のアイドルなんだ、って最近は思いますぅ!」
 
 同感。

 また、年末に翌年のカレンダーを紹介する際、初めは普通にハロープロジェクトやらを紹介した上で、
 「でもMathewの一押しはこれっ!東映女優カレンダー!なんと1月は天海ゆうきさん!この方も…中略…、そしてかたせ梨乃さん、いやあ豊満ですよね〜以下略」
 …カレンダーをこんな楽しみ方できるなんて、すばらしいと思います。

 あと、女性を立てるのがうまいですよね。

 付け加えて言えば、津川雅彦氏を「パパァ〜ン」とか呼べちゃうのも、藤井隆がすごいからでしょうか、Mathewのキャラのなせるわざでしょうか?
 残業で疲れた体を引きずるようにして真っ暗な部屋にたどり着き、なぜかもの寂しく何か明るい音が欲しくてTVをつけると、「元祖ウォーターボーイズ/川越高校水泳部の文化祭」みたいな特集の終わり頃だった。そのまま見ることにする。

 彼らはとにかく燃えていた。練習し過ぎで剥離骨折をする1年生、受験勉強はそっちのけで最期の夏を燃え尽きようとしていた。
 
 燃えている少年たちは、驚くほどかわいらしくキラキラしている。彼らの中で昂揚するエネルギーは肉体にはとどまらず、いつも外へ向かって発散するオーラとなってその場の空気に気流をもたらす高気圧のようであり、それらはおバカなくらいの積乱雲となるのである。

 少年たちは、悉く燃えようとしている。
 
 川越高校ではないが、ある高校生が「手を切った」といいながら、タオルを真っ赤にして現れた。「どこでどんなふうに手を切ってしまったの?」と問うと、照れくさそうに、もうすぐ文化祭でダンスをするのだが、練習場所の割当が狭い地学室であり、そこで手を振り回したら机の角にぶつけて切れた、と語った。
 そんなばかな、という状況下で怪我をし、手から血をだらだら流して、それでも照れくさそうに、明日からまた練習できますか?などと聞いてくるから全く、罪なやつである。思わず、丁寧に縫っておくから痛くなければいいよ、と言ってしまった。

 文化祭前日に、風邪をひいて高熱を出した少年も、点滴をしながら薄暗い処置室で、熱で潤んだ目で、あすから文化祭なんですけど学校に行ってもいいですか?どうしても出たいんです、などと訴えるものだから、自分の体なんだから最後は自分で決めていいよ、本当は休んでほしいけど、と言ったら、嬉しそうに熱は今夜中に下げてみせるから、と言って眠りについていた。

 柔道で膝を痛めて入院した少年のもとに、部活の先輩がお見舞いにきていた。その先輩は入院している少年より少し小柄であったが、仏頂面で私に会釈した。少年は、先輩はすぐに帰るっていってたけど引き止めて話してたんだ、と笑顔でいいながら、先輩のひらひらした制服のシャツの裾をベッドから伸ばした手でなんとはなしに玩んでいた。
 私は一瞬のその光景に、ふと「仮面の告白」の鉄棒のシーンなぞを思い出してしまったのだが、 おそらくこの二人の間にはそういう気持ちはなかろうと思う。

 さてさて、私の思考はその後、「走れメロス」に波及した。
 メロスはなぜ走ったか?はよくテーマになっている。そしてセリヌンティウスはなぜメロスを待ったのか?
 少年たちはみな、己を燃やし尽くすための場所を求めているように見えるときがある。それは文化祭であり、シンクロでありダンスであり、柔道であり、もしかしたら書物とか勉強とか音楽とか演劇とか、そういうものかもしれない。
 
 燃えることの出来ない屈折した少年は燻っているようにみえることがある…くすぶり、それは火種を抱えているのに発火できないもどかしさのことだ。 

 いずれにせよ少年たちは悉く燃えようとする。
 太陽を求め焦がれ、ついには太陽に同化するかのごとく立ち枯れする向日葵のように。 
 
 数年前にこんなかんじのものを、友人が東欧みやげにくれた。

 さて、ルーチンのように繰り返すべき質問として、今までに大きな病気をしてるか、とか、アレルギーはあるか、というもののほかに、
「なにか飲んでいらっしゃるお薬はありますか?」
がある。昨夜もそれを聞いた。

 「えっとお、5月病で、なんか漢方薬の…」
 「ふむふむ」
 「名前は忘れちゃったんですけど…確か…
  元気の出るクスリ。」

 いやいやいやいや、いいんですか、その薬?
 そんなおクスリあるなら私が頂きたいものですよ。
 しかも、5月病って…そんな病名で保険適応なんだろーか。

 しかしながら、漢方薬とはすごいやつらで、なんとなく息苦しさとうつっぽい症状の両方に効果あるものもあるそうで、なかなか奥深い。

 わたしはというと、ピルケースにはマルチビタミンとビタミンCとブルーベリー粒を入れてます。
 だって、睡眠不足がたたって、肌は荒れるし、眼の下にはクマ、本当は今も、眼が疲れてしぱしぱしてるんだもの。
 昔、DISCORDというCDのブックレットに、坂本龍一・一問一答、のようなものが載っていて、そこに、

 「時計はどちらにつけますか?」
 「つけない。エネルギーを奪われるようだから(笑)」

みたいな回答があって、当時、四六時中に腕時計を愛用していた時計少女だった私は、泣く泣くその左腕からLUKIAをはずした。
 
 はじめのうちはその左腕の軽さに戸惑っていたが、坂本龍一の感性を自分でも体験したくて、はずし続けた。
 それでも時がたてば慣れるもので、数年後、仕事の都合上、どうしても腕時計の装着が必須になるころになってようやく、左腕の重さとエネルギーの奪われる感じを体感することができた次第である。

 思春期後半、私は坂本龍一に感化されていたのであった。
 その結実ともいえるのが、「LIFE」であった。

 実は、TOKYOのは、観にいってました。
 かなり割安の「学生席」が買えたので。

 学生席は、座るとステージ上は全く見えなくなる、かなり虐げられた、というか、その値段なら当然か、という座席だった。
 頭上には2階席がせり出しており、私の身長でぎりぎり頭がぶつからない程度だったので、少し上背のある友人は、常に中腰の姿勢でないといけないのだった。

 それでも、私たちは興奮していた。
 
 …

 どうもあれ以来、彼はエコロジーとか平和とか、そういう社会性が強く表れるようになった気がするのだけど、「年をとった、ってことじゃない?」などと私の友人は言っていた。そうかもしれない。そうじゃないかもしれないけど。

 いずれにせよ、坂本の坂本たるゆえんは、その活動の意義とか使命とかそういう要因ではなく、LIFEにも、アジエンスにも、子猫物語にも一貫して流れる「坂本らしさ」に起因しているのだろうと思う。そんなところにこだわっていると批評にならない、のかもしれないが、それでもいいです、もう、だってわたしはかつて彼に心酔していたのだから、批評はともかく、批判なんてできそうにない。 


 東儀秀樹以来の、日本の「邦楽」回帰ブームは、今どうなっているのだろうか。

 さても、毎年、新春ともなると、この春の海をテレビやらラジオやらで聞かない日はないのではないかと思うほどであるが、気がつくとこの箏曲はメディアから消えている。…いつの間に?やはり目安は七草の日なのだろうか。記憶にない。

 さて、私が学生時代にすごしていたちょっとこぎれいなアパートは、住宅地の只中にあって、平日昼間からのんびりしていると、実にほのぼのできていた。
 当時、まだ教養学部生だった私は、前年に単位を取り巻くってしまっており、バイトと部活動とだらだら過ごす毎日だった。特に、火曜日は夕方から部活があったものの、基本的に昼間は何もないことが多く、陽がだいぶ高くなってから目覚め、コーヒーをドリップし、たまにはホットケーキを焼いてみたりして、そしておもむろに本を読みふけっていたものだった。

 そして、必ず火曜日の10:30、それは唐突にはじまる。

 ♪みあげてごらん、よるのほしを…
 
 歌ではなく、大正琴の音色であった。しかも一人ではない。おそらく3-5人は同時に合奏しているであろう。
 その大正琴サークルはその後12:00まで途中に(多分)休憩を挟みながら練習をするのである。ときにおばさま達の遠慮のない笑い声がどっと響きもする。レパートリーは懐メロが多い。そして以外に数は少ない。毎週繰り返し繰り返し、同じ曲を合奏し続ける。

 その大正琴の音色は、宮城道雄の幽玄な音色とは異なり、ある意味チープな、たとえて言うならLPに対してソノシート的な違いを持っている。そして技術的には、ピアノに対してのピアニカ(鍵盤ハーモニカ)のような違いがある。
 
 まあきっとそういう気軽さが、長く主婦社会で市民権を勝ち得ている理由なのだろうが、私にとってはあのダルでぼんやりとしたあのブランチタイムとそのときのカーテンから差し込む陽光、そういうイメージを喚起する要素であるから、好きなわけではないけれど、やはり嫌いではない。むしろ少しセンチメンタルな気持ちになる。

 話は変わるが、昔、日本びいきのアメリカのロックバンド「ボンジョヴィ」が、日本をイメージしてつくったとかいう曲の(タイトル忘れた)スコアを見たことがあった。
 『KOTO』のパートがあり、当然、琴のパートは誰がやるんだ、という話になった。幸いといおうか、私の友人で京都出身の女子は「お琴・生田流の経験者」だったため、彼女に声をかけたのだが、にべもなく断られた。
 琴をたしなむ京女は、ボンジョヴィみたいに暑苦しいロック魂とは相容れないのかもしれない。
(inst.)
恋のカマイタチ
誰かさん
リュウグウノツカイ
海を渡って
ココロノブラインド
ナイト ドライブ
very sleepy!! (inst.)
くるくる
ORIGINAL COLOR- version [si:] ?
Saturday
See You In My Dream
50past 12(AM)(inst.)
PINK
ビーフシチュー

 実はまだ買っていない。でも買うつもりではいる。
 視聴した限りではあるが、おやおやミスチル意識かい?と思うのだが、彼の努力というかやる気を買いたいのだ。
 
 おそらく相方のように、あくまでジャニーズの範囲内で活動するほうが、楽だし、この世界では息が長いのかもしれない。
 でも不器用に「自分のやりたいこと」を追求し、ちょっと引きこもりっぽい彼を応援したいものです。

 がんばれーがんばれー。
 あのゴルゴ13で名高い「さいとうたかを」氏が漫画を書いている。
 最近は本屋に行く暇もあまりないので、コンビニに立ち寄っては300円コミックス「鬼平犯科帳」を買いあさる。読みふける。
 やっぱ名作ですわ。

 直接的に関係あるわけではないのだが、私が暇なときはよくランチに行っていたビストロは、あからさまに鬼平犯科帳に関連性のある店名であり、店内には鬼平本とかオニヘイグッズであふれているのだが、そこの名物はハンバーグだったりする。それがまたおいしい。
 歳のせいか、破壊的勤務体制のせいか、最近、なんだか肌が荒れやすい気がする。そんなこんなでメイクばっちりのパルココスメコーナーのおねえさんに勧められた。
 温泉に行きたいけど行けない日々だから、顔ぐらいおフランスの温泉を堪能しておこうか。
 学生時代からのある友人とは、親しくなって間もない頃、太宰治のことで夜を語り明かすほどの濃密さであったが、彼女の小さい頃の「将来の夢」は、「スパイ」と「忍者」であった。いずれにしろ何らかの隠密行動と情報収集をしたかったらしい。
 
 しかも彼女は、「忍者」にならんとするため、自宅の庭に成長の早い植物を植え、その上を日々飛び越えていたそうである。いつまで続けて、最終的にどれだけの身体能力を身につけたかは聞きそびれた。あるいは聞いたが失念したのやもしれない。

 
 さて、私自身もスパイにはなんだか憬れていたので、意気投合し、お互いに暗号クイズなど出し合ったものである。
 あくまで子供の自由研究向けの本なのだが、秘密基地とか内緒の手紙とかをやりとりしたりしていた幼い頃を思い出すようだ。
 
 幼い頃は、世の中には冒険の余地が十分にあって、大人になれば知力も体力も、その冒険にふさわしいレベルに達して、スリルとサスペンスに満ちた冒険にいくチャンスが訪れるのだと、漠然と信じていた。
 宇宙刑事も5人組戦隊も、ふとしたことから魔法を使えるようになる少女も、そしてもちろん、MI6のジェイムス・ボンドも、身近な将来に感じていた、あの短いけれど一番キラキラしていた日々を、この本を手に取ると思い出すのである。

 
 …15歳のミヒャエル・ベルクは母親ほども年のはなれたハンナという謎めいた女性と恋に落ちた。「何か朗読してよ、坊や
!」ハンナはなぜかいつも本を朗読してほしいと求め、二人は人知れず逢瀬を重ねていた。…しかしハンナは突然失踪してしまう。彼女の秘密とは何なのか?二人に絡み付く過去の戦争の影は?…

 かなり以前にこの本「ベルンハルト・シュリンク/朗読者」は手元にあったのだが、読む時期を逸していた。
 しかし、偶然とか、巡り合わせというものはなぜか重なるものである。

 先日、ある人が「スパイ・ゾルゲ」を観た、と言った。世間の評判はいまいちだけど、当時の各国の状況とか歴史的背景をきちんと知っている人にとっては結構面白いかも、と言っていた。私はそのような歴史を知っている訳ではないので、そうなの、とだけ相づちを打った。
 その翌日、たまたま同僚に借りた「アドルフに告ぐ」を読む。そこにはナチスと日本が描かれていたが、ゾルゲの姿もあった。
 そしてその翌日、この「朗読者」を読む。ここにも第二次世界大戦の、ナチスの影があった。

 青少年期の性への目覚め、情熱的で柔らかなエロス。
 秘密の多い魅力的な年上の女、机を並べて学ぶ同級生の少女の微笑み。
 初めての愛と、謎と、切ない眼差しだけ残して突然失踪した女、数年後また突然に罪人として眼前に現れた女。

 この著者は以前何作かミステリーを書いており、そのせいか、この作品も純文学的作風を持ちながらも「謎解き」のエッセンスが多い。だから私はあまり多くを語れない。

 主人公ミヒャエルもハンナも、なんというか、「ドイツ的」である。律儀で、少し内省的で、慎重で、粘り強くて、堅固なプライドがある。 それでいて、どこか情熱的なゆるやかさがあるものだから、この二人は惹かれあったし、人生をともに歩むことはなかったけれど、離れがたい絆があったのかも知れない。

 それで私は、というと、このように不器用で少し控えめに律儀な人は、きらいじゃないのである。
 …数百年にわたって戦い続けてきた吸血鬼族と狼男族。そんな中、吸血鬼の女戦士セリーンは、狼男族がマイケルという人間の青年を執拗に追いかけていることに疑問を抱く。陰謀の匂いを嗅ぎ取ったセリーンは、狼男族同様、マイケルを追うが、やがてこのマイケルになぜか心惹かれていく。しかしマイケルがなんと狼男族の君主に噛まれてしまい……

 身のこなしの美しさ、というのは、マトリックスくらいからだろうか、マントではなくロングコートにて規定されている気がする。
 それはいずれにせよ衣服の「ひらめき」「ゆれ」「襞」だと思うのだが、ひらめきもゆれも、体動や風によって生まれる。
 
 内容に対する意見は「かっこいい」とか「おもしろい」とか「つまらない」などと様々だとは思うが、こーいう雰囲気の映画が好きな人の期待は決して裏切らないとは思いますがね。

 内容に触れないようにレビューしようとすると、どうにも難しい。つまらないことしか言えないようだ。

 とりあえず、続編がありそうな予感は、満載です、と。
 さて、少し前にクサマトリックスについて記載したのだが、中途半端な状態になってしまっていた。

 草間弥生はとにかく芸術家なのであろう。
 彼女の作品は日常に潜めない。
 「自分は他の人とは違うんだ」という思いのある人にとっては草間弥生は突き抜けた芸術家に見えるだろうし、「自分は普通の人なんだ」と思っている人あるいは日常に世間になじむためにそう思おうとしている人にとっては異常者に映る。

 日本では異常-正常の境界に線を引こうとする…しかし果たして、そこに境界線は存在するのか。

 その議論はここではやめておきたい。
 彼女の芸術はそのマージナルゾーンを揺さぶるのである。これは芸術か、あるいは狂気か。

 水玉ブラックライトのリビングルームは、やはり一般の住空間ではありえない。日常のリビングという場に彼女の境界例的テイストが加わると、人々は恐怖するのだ、自分の正常を脅かされる気がして。

 草間弥生は異質であり続ける。受諾されようとも拒絶されようとも、やはり異質なのである。
 自身に「異質感」を抱いている人にとって彼女はあこがれの人ではあるが、自身に「普通」という生き方を提唱している人にとっては侵入者である。

 さて私は、というと、異質な領域へと絡めとろうとする草間弥生の「無限の網」を身を掠めるような近さを感じながらも避わして、あくまで境界域に身を潜めるのだ、受諾もせず・拒絶もせずに。
 さて、私が現在住まう街は、どうやら草間弥生の故郷であるらしく、1-2年ほど前に市立美術館を建設していたところ、彼女の巨大なオブジェが工事現場を覆うグレイの覆い布の向こうに見え隠れしていて、一般市民含め、無知な大学生たちは「なんだかキモイ」と言ってはばからなかった。

 そのオブジェは今でもやはり美術館の正面入り口に鎮座ましましていて、それは巨大で、茎の捻じ曲がった、水玉のチューリップである。

 さらに、草間弥生の常設展示もある。

 私は美術に詳しいというわけでもないが、昨年中はなぜだか頻繁にその美術館に通った。
 それは併設されているカフェのケーキと、焼き菓子と、オムライスが美味しいだとか、すぐ近くのアンティーク喫茶のコーヒーと雰囲気が素敵だとか、そういう副次的な目的もさることながら、意外と良い企画展が多いのも理由のひとつであった。それと、そのころはモラトリアムに過ごしていたという事実と。

 森美術館のクサマトリックスにも行った。たまたまそれは夜で、薄ぼんやりと明るい遠景に東京タワーが照らされているのを、展望台から見下ろしながらカフェラテをを飲んだ。…まあそれはいい。
 
 草間弥生にとっての水玉はもはや、持ちネタというか、定番という感じである。「もともとは眼を閉じてもまぶたの裏に繰り返し浮かぶ残像を偏執的に表現したのが水玉や亀甲パターンだった」と、私の大学の精神科講師は語っていた気がする。

 さて、先日もふらりと市立美術館に行った。
 森美術館のクサマトリックスとは大違いの空きっぷりである。
 老夫婦が私の前をゆっくり鑑賞していた。
 老夫婦は「なんだか良く分からないけど、めが回るね」
などといいながら歩みを進める。
 合わせ鏡の中のニョロニョロもどきと私たち。
 水玉+ブラックライトのリビング。
 乾燥パスタのカーペット。
 
 老夫婦は「これが芸術ってものかいね」と会話している。
 私にとってはもはや5-6回目の鑑賞なので、驚きよりは「慣れ」と「笑い」である。
 ブラックライトのリビングルームのいすに腰掛けて、老夫婦を見送りながら、異常事態になじんでゆく私の正常を客観視した、ある日の午後。

 

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