お洒落になったスティーヴィー・ワンダーかと、思った。

そうするとスティーヴィー・ワンダーがお洒落じゃないのか?という話になってしまうけど、彼の場合はもうちょっと骨太な感じかなあ。
 
垣間見えた 笑顔

 参加している誰もが楽しそうにしている曲が、わりと好きだ。
 そして、この群青日和もやっぱりそうだ。

 まあ実のところ、久しぶりにカラオケに行ってみて、「本人出演映像」のなかにコレがあったものだから、思わず見たくなるってもんでしょう?

 黒子を外して、鎖骨を浮き上がらせた女王様、椎名林檎がジャカジャカ謳っている映像の合間に、なんだかとても楽しそうに演奏するメンバーが映し出されている。
 女王様/林檎は無表情にクールにシブくポーズや顔をきめて歌っているのだが、ふと、最後の最後で、うつむいて「くすり」と笑ったのだ。

 だれかとオンガクをやっていて、時々どうしようもなく「楽しく」なってしまう時がある。楽しいテンションがあがって、自然と笑みがこぼれてしまうのだ。林檎の「くすり」もそんなかんじだった。
 映像の終わりには、ついに彼女は手で口元を押さえて、やっぱり笑っている。そうそう、そういう楽しさ。あーどうしよう、このバンドはとってもたのしい!という歓喜にメンバーが一体となって向かっていく瞬間。クールな東京事変における思春期の熱血部活みたいなノリ。この椎名林檎の笑顔をひきだした「東京事変」もすごいし、このPV作った人もよくぞこの映像を入れてくれた。 わたし、これを観れただけでも、敢えて熱唱した甲斐があるってもんです。
停滞でも疾走でも跳躍でもなく


 くるりを聴いていて思い浮かぶのは、例えば映画「ブエノスアイレス」のワンシーンである夜のブエノスアイレスの定点カメラ、早回し、みたいな。雑踏の中で立ち止まった印象である。

 脱力しているようでいて、なかなかに戦略的な曲が多い。
 停滞し、内向していく訳でもなく。時代や世相に合わせて疾走するのでもなく。時代や自分の内省を跳躍するのでもなく。
 爆発的なちからを持たず、蓄積せず。消耗しないが消費をし。
 世界は破壊すべきものでも、迎合すべきものでも、超越すべきものでもなく、観察し、ときにそこに会わせ、ときに少しだけ反発してみる、といったような。

 全然古いのだけど、岡野玲子「ファンシィダンス」のなかの、陽平がお山から降りてきてパチプロとかやって無茶苦茶に行きている時に、最愛の人真朱サンに説明した『都会』の印象、
「都会の時間の流れ方は、同じ早さで歩いてないと不安になる、立ち止まるとTVの砂嵐のようにまわりが全くつかめなくなる、だから自分はいま、敢えて立ち止まっているのだ」(うろ覚え)
という一コマを思い出してしまう。なんとなく。
お山のてっぺんの卵から生まれためっちゃパンクなサルやねん〜ゴダイゴ〜

・・・ではなく。
カナダ人兄弟Maynard(Vo&G)、Blaise(Vo&G)と日本人tax(Dr)、DICK(Ba)からなるハイブリッド・バンドMONKEY MAJIK


ということなのです。最近リメイクされた(?)「西遊記」の主題歌も歌っていたようですが。
 なかなかキャッチーで、ラジオとかで人気でそうかな〜と思っていたのだが、どうやら本当にそうらしい。
 そして今年の3月にはもう、この5年間のベストアルバムが出るというのだから、勢いがあるのでしょう。

 久しぶりに更新したのに、この文章の勢いのなさはなんだ?
俗に“ブラウン・アルバム”として知られている本作は、ザ・バンドという偉大なグループを語る際には、真っ先に名前が挙がるアルバムだ。ザ・バンドは、4名のカナダ人と1名のアーカンソー州出身者から成る5人組。このセカンド・アルバムは、彼らの他のどんなスタジオ・レコーディングよりも親しみやすい内容を持っている。


「本物のロックは、『The Band』の解散を以って、その終焉を迎えた」

 と、恩師は言った。
 彼はわたしの恩師であると同時にギターをかき鳴らし頭を振りつつjamり、スポーツカーを乗り回すPTA会長だ。彼に言わせると、この解散と共に「ロックは死んだ」と。そして残されたのは「商業主義に侵されたポップスと贋物のロック」と。

 まあどちらかというと、その「ポップス+贋物のロック」の世代なのでわたしにはなんとも云えないが(そして彼もまたその世代である)、その台詞は、コルビジェの「マンハッタンは低すぎる」と同じくらい格好よく響いたし、多分わたしが一生かかっても吐けない様な明言であることには違いなかろう。

 しかし、音楽とか本とか映画とか芸術とか、そういう自分の好みを語るのはなんと恥ずかしいことだろう。赤裸々ですよ、あからさまですよ。ほら、そこで電車の中で連れの女にいいとこ見せようとしていまさらIWGP(及びクドカン)語っちゃってるあなた、大分恥ずかしいですよ、ってわたしは思っちゃうんだけど、それでよし、とされる環境があるのも事実。割れ鍋に閉じ蓋。何か語るには語るだけのback groundが必要だろうし、無いならそれなりの謙虚さが必要だと思うわたしは古い世代ですかね、と問うと、このおじさま達は「そんなことないさ」と言ってくれているようである。
 
 暑くて慌しい日々が続いておりますが、てぃがーさんから頂いたバトンなぞ振り回しながら7月の最終コーナーをまわろうかと思っているのです。

1.持っている曲
 そんなに多くはないです。i-podにCD20枚分くらい、実家に10枚くらい、手元に50枚くらい?
 あと、テープでしか持ってない曲とかがちらほら。

2.今、聞いている曲
 frou-frouの「Details」
 トランポリンズの「The Trampolines」
 「Idee Life」
 テトラプルトラップ
のローテート。

3.一番最近買った曲
 Jamiroquai 「dynamite」

4・思い入れのある曲
 ?Kula-shaker の「Greatful When You’re Dead」「Hush」など
 …大学の友人が参加していたシロートライブで、唯一ウマいバンドが演奏していたのがこれ。最初は何の曲か分からず、すげー、シロートでもウマいってこういう感じなのかー、と思っていたのだが、数ヵ月後、偶然に中古CDショップでジャケ買いしたのがkula-shakerで、それを聞いて再会したときの感動といったら有りませんでした。

 ?BLANKEY JET CITY 「冬のセーター」「ディズニーランドへ」etc
 …わたしの弟分が、カラオケで歌ってくれることを思い出すと、そのころの仲間たちとの学生ならではのグダグダDaysが思い出されます。筋肉少女帯と並んで、うわー、この人たちだめなところが最高!と思わせてくれました。

 ?Micheal Jackson
 …無罪でしたね。
  彼は天才だろうと思うのです。ピークの頃の楽曲はどれもすごかったし、PVも上手に作りこまれてて、ショートフィルムでしたもの、10年以上も前から。低迷し始めてからも、アルバム曲の完成度は高いしセンスもなかなかだと思います。ただ、かつてほどのビッグヒットはないけど。聞き込んでいると良さが分かるタイプになってきたのかしら。

 ?坂本 龍一 「smooochy(特に美貌の青空)」「sweet revenge」他多数
 …なんだろう、思春期みたいな感受性絶頂の時期に触れたものって、どうしても愛着が湧くというか、その後の傾向を形作るとういうか、とにかく感動も抵抗もあるんだけど、サカモトへの感傷は不変・普遍なのですよ。もう何が良くて何がだめなんて云えないような。

 ?フリッパーズギター 「camera!camera!camera!」「samba parade」etc
 …これも同じく思春期です。渋谷なんか知らない頃の渋谷系です。テトラプルトラップなんか、聴いた瞬間に「そっくり
!(クリソツ)」と思いましたからね。電グルと同じくひとつの流派になっちゃってますよ、もう。
 

5.次のバトン、お願いしたい方。
 なつさん、G-darkさん。
 もしかしたらもう、回っているのかもしれませんが・・・。
 
 先日、本当にごく久しぶりに外に出かける機会があって、1時間ほど近くのWAVEにいき、なんだかとても消費に身を委ねたくなって衝動買いしたのがこの1枚。
 ゲイシャガールズのときに「僕は坂本龍一の弟子ですから」なんていってたのは、もうどのくらい前になることか。
 噂によると、白で統一された自宅に住んでいて、その家はどうやら意外とわたしの住む県内にあるとかないとか。

 いま、いろんな種類の音楽があって、確かにJazz.やらBossaやらお洒落さんたちご愛用の音楽も素敵だし、好きなんだけど、こういうピコピコした感じの音楽はやっぱり好きなんです。とにかく、久しぶりのアルバムに感謝。
 天才ってこういう感じ?
 
 以前、同期に貸してほしいってお願いしてたのだが、それきりお互いに忘れて随分経っていた。そしたら、最近、もって来てくれた。

 音楽をゆっくり聴くことすらままならない、最近の日常。
 自分のためだけの時間が無いことが、やはりとても辛いのです、根性がないから。
 
 なれるものならなりたかった、天才に。
 でもなれない、なれなかった私は、必死で今を走るしかないのだと、言い聞かせながら、今日も塩酸ファモチジンを口腔内で溶かし、PC作業をしながら陽水という天才に傾倒した、才能あふれる人々の音楽を聴くのです。
 カーディガンズはそう,フリッパーズギターと同じくらい,思春期後半のわたしの日常にどっかりと存在していたのだけれど,そのトーレ・ヨハンソンが時をかける少女とコラボするとなれば,いろんな意味での期待が高まるのも仕方がないというもの。

 「アンチ・不思議ちゃん」を陰ながら掲揚するわたしだが,憧れ含めてどうしてもなんだか好きな人というのはいて,その一人が原田知世である。おそらく妙齢な年であろうのに,みよ,このジャケットにおける膝小僧のかわいらしいこと!

 まだ浅い春のころとか,初夏とか,そういうときのドライブに。特に軽井沢なんか行く時にはよく聴きながら,口ずさんだりしながら,車窓を流れる緑を追うのが良く似合う。そういうかんじ。
 メジャーデビューして,そこそこテレビに出る様になっても,どこかメジャーっぽくなさを残すバンドではあるが,わりとすき。
 とくに,ちょっと古いけど,この「グラフティー」がお気に入り。
 
ボーカルがドラムっぽいといえばこのゴーイングアンダーグラウンド。
「ドラムっぽい」というのはルナシーでいえば真矢に当たるルックスというか。その微妙な垢抜けなさがメジャーっぽくなさとして表現されると同時にこのそこはかとない青春18切符な感じを体現するのかもしれない。

 思春期に聞いていれば,大ファンになっていただろうと,ふと思う。
 理由を問われても分からないが、「私の好きな曲」と「ヒット曲」には僅かなズレがいつも横たわっていて、この坂本龍一で言えば、「美貌の青空」が好きで「戦場のメリークリスマス」がヒット曲で、みたいなものだ。

 最初の感想は、「何故この時期にこのアルバムを?」であった。

 このタイトル、「04」から彷彿とするのは「1996」である。彼はまるで足跡を確かめるように、数字に回帰し、総括しているようだ。
 
 世間が「メリクリ」などと浮かれている今夜まさにいま、わたしは仕事中である。しかもそれは決して喜ばしい仕事ではなく、奉仕的であり、自己抑制的であり、いわゆる「3K」であるわけだ。
 
 さて、疲労して、「浮かれ」を外界に感じながら、沈静すべく自分の休息時間へ潜水していくとき、「04」を聞く。
 それがどのくらい似合いかというと、…東儀秀樹あたりを聞きながらじっと暗闇に息を潜めて蛍の群舞を観ているときと同じくらいだろうか。

 何故、と問うことすら今夜は無粋なのだろうけど。
 
 彼の音楽は常にわたしに「絶望」を意識させる。堕ちていく喜びを見せる。
 単に救いではなく、「絶望の存在を諾とする」その突き放すようで世界の果てで実は受け止めているような、絶望感に「浸ることを許される」気がするのだ。

 睡眠不足で頭も体も消耗した日は、とかく言わずもがななことばかりが口をついて出るようだ。
 とりあえず、ゆっくりと浮上して、もう少しだけ労働し、今度は短いけれど眠りの淵へ潜水しようか。
 
 最近、なんとなくやってみたら意外といい感じだったモノマネは「はい、ドア、閉まりまーす」だった。

 それはともかく、以前、予備校に通うときに利用していたのが中央線だったのだが、結局その後進路が決まってからも中央線を利用する機会が多い。でないと、地方都市の住人は東京砂漠に到達できないのだ。

 そして、矢野顕子の物まねといえば「清水ミチコ」を思い出すのだけど、みっちゃんは最近やらないなあ、これ。
 鹿児島出身の年上だけど後輩のNは、入部まもなくのころ「薩摩隼人」への想念的質問として「やっぱり『おいドンは〜でゴワス』とかいっちゃうの?」と背の高い、ちょっときれいな女先輩に聞かれ、「いや、『薩摩のサムライはくっべたで言い訳もしもはん』です」と答え、飲み会会場全体の笑いを掻っ攫っていったものだった。その方言自体の信憑性も定かではないが。

 ともかく、アルバムタイトル『隼』に対して、収録曲に「8823」があって、あーこれがハヤブサってことね、と後から思った。はとやの「4126(よいふろ)」と同じ。
 スピッツは実は以前から好きなのだが、わたしのベスト3に、この『8823』はランクインする。
 このアルバムは、スピッツ好きの友人からもらった。「なんか、スピッツのイメージと違うわ。もらっとけ」
 
 サビは確かこんな感じ。
 誰よりも早く駆け抜け LOVEと絶望の果てにとどけ
 きみを自由にできるのは宇宙でただ一人だけ

 今は振り向かず8823 屑と呼ばれても笑う
 そしてきみを自由にできるのは宇宙でただひとりだけ


 この『きみを自由にできるのは』というのは、「きみをおもいどおりにしていいのは」という意味なのか、「きみを何らかの囚われから救いだせるのは」という意味なのか、今でもわからない。また、もしかしたらどちらの意味もあるかも、と思っている。

 このアルバムをくれた友人同様、スピッツのファンからは一部、「駄作」の烙印を押されているようだ。「スピッツらしくない」という批評ね、いいじゃないですか、きっとマサムネ君も「今は振り向かずわらって」いることと思う。

 迫り来る疾走感、それが好きなところ。屑と呼ばれても笑い飛ばして駆け抜けていくヘタレだけどまっすぐな少年らしさ、不器用さ、そうして終わりに向かっていくにしたがってバンド全体のテンションが上がってゆく感じがするのも、なんだか微笑ましくて、夜の川沿いの桜並木を意味もなく駆け出したくなる、そういう曲。
 メケメケ 意気地なしのケチンボ
 メケメケ 手切れの金さえくれない

 「メケメケ」で一世を風靡し、長年にわたって、私のシャンソンのイメージを担っていたのがこの三輪明宏殿である。

 とーちゃんのためなら、エーンヤコーラ
 かあちゃんのためなら、エーンヤコーラ

  「ヨイトマケの歌」で社会派デビューした三輪さんは、最近の記憶じゃ「もののけ姫」の『黙れ小僧!』なんて台詞でお眼にかかるくらいに露出が減ってしまった。あとは数年前に「台風が首都を直撃しないように竜神に祈ったら、台風は方向を変えていったわ」などと神がかり全開の発言を「笑っていいとも!」でしていたなあ、と。

 さて、私はかのお方がかなり好きなのであるが、それはやはり伝説的な逸話によっている。
 「銀座に紫色の頭の、きれいなオバケが出る」と15-16歳頃から言われていた三輪さまだが、既に三島由紀夫と親交が深かったと見える。
 ある夜、三島は一人の男を紹介した。…江戸川乱歩であった。
 乱歩は噂の美少年に次のように質問する。(以下、筆者のイメージ再現表現を過分に含みます。あしからず。)

「いったいきみには、何色の血が流れているんだろうね…実際に見てみたいものだよ」

「おやめなさいまし。虹色の血が流れて,貴方のお眼がつぶれますよ」

 以降,彼が黒蜥蜴を演じ続けていたのは,ご存知のとおり。
 
 人を魅きつける,という点において,突き抜けた,早熟な少年。
 かれは年をとってなお,突き抜け続けている。そういう「突き抜け感」が,わたしは大好き。 
 ある意味でビジュアル系?

 「シャンソン」というものの私にとってのイメージは、「三輪明宏」に代表されていた。そしてそれはいつも、華やかさと退廃とに彩られていた。
 男性のシャンソン歌手が女性の心を歌い上げる、その中性的な感覚が退廃を呼ぶのだろうとも思う。
 
 正直なところ、シャンソンの正確な定義など知りもしないので、あくまでイメージ、つまりは私の思い込みによる発言になってしまうのは否めない。
 シャンソンにはドラマがある。ずばりストーリー仕立てであることも多い。また、人生の喜び・悲哀・愛・死という、演劇的要素を盛り込みまくった歌である。また、そのドラマティックな要素は歌い手にも必要とされている。いかに叙情的に歌い上げるのか?そこにはナルシシズムとも受け取れるほどの自己陶酔がなければならない…。

 徹底、その自己陶酔への徹底、ドラマへの徹底、男女のボーダーラインへの徹底、その「奇人」と評されかねない紙一重の徹底ぶり、そういうものが持つ力というのを、シャンソンというジャンルが、ガレージシャンソンショーが提示したと思った。
 
 すばらしきプチ・ブルジョワ
 どーにかなるさ、なんとでもなるさ
 幕切れはひとり、
 どーにもならない、なんともならない

 彼ら自身、「ななかいのバラジョー」の中で自らをこう語る。
 
 …「みょうちきりんなガレージシャンソンショーを名乗る二人組みが」…

 このぎりぎりのラインが潔いのである。猟奇的で退廃的な、江戸川乱歩的な時代を象徴するような、虚無への供物としての音、歌、…まあいずれにしても―

 シャンソンは復活を果たした、ガレージにおいて。
 
 忘れもしない、(といいながらも)おそらくあれは82年、ラジオからはAfricaが流れていた。私はまだ非常に幼く、姉の部屋から漏れるそのラジオのおんがくは、記憶の片隅に残っている程度であった。

 そのTOTOに、中学生、思春期の私は再会することになる。

 ジェットストリームか何かで特集されていたのか、やはり同じFMの電波からTOTOは流れ込んできた。Africaだった。
 思春期、まだ感受性が豊かだった私は、そんなに動物が大好きでもなく、アフリカどころかサファリパークすら行ったことがないくせに、アフリカの大地を思い浮かべては、訪れる朝焼けに長い影をのばす木、早起きの動物たち、しとふる雨を感じていたものだった。

 そんなわけで、このアルバムは私にとって思い出の一枚になっているのだけれど、私がフリッパーズギターをたしなむようになったきっかけを与えた当時の友人ゆきちゃんは、「彼らはバンド名を決めるときに、日本人に受けそうな名前にしようと思って、日本でよく見かける名前にしたらしいよ。」

 …つまり、東洋陶器ですか。

 おそらくその名前をよく見かける場所というのがレストルームであったとしても、それはそれ、TOTOへの思いは動じないのである。
 スタジオミュージシャンの集まりだったせいか、TOTOは脱退・メンバー入れ替えを繰り返す。っていうか、ボーカルがいつも違う。でも生まれてくる音はTOTOだった。

 確か、90年代の終わり頃、ドラムのジェフ・ポーカロが全米ツアー直前に庭で除草剤を使っていて中毒か何かを起こして急死した。日本ではデビューライヴで一緒に演奏してもらったSing Like Talkingが追悼の歌を作った。TOTOは終わったかと思った。

 しかし、もううろ覚えだが、結構前にTOTOのギタリストがボーカルまで兼任してアルバムを出していた気がする。「Don’t chain my heart」とかなんとか。それまでのTOTOのイメージを大きく変える骨太なアルバムだった。
 どんなボーカルが参加しても守られてきた「TOTOらしさ」が変革したきっかけが、もともとのギタリストだった、ということが感慨深い。外部からの変革ではなく、内部からの革命、内部からの破壊、まさしく北斗神拳。Youはshock。

 疲労のせいか、脈絡がない。
 テレビではアフリカの動物たちが「Africa」をバックに草原に横たわっている。わたしの上にも潤いの雨が降り注ぐとよいのだけれど。 
 昔、DISCORDというCDのブックレットに、坂本龍一・一問一答、のようなものが載っていて、そこに、

 「時計はどちらにつけますか?」
 「つけない。エネルギーを奪われるようだから(笑)」

みたいな回答があって、当時、四六時中に腕時計を愛用していた時計少女だった私は、泣く泣くその左腕からLUKIAをはずした。
 
 はじめのうちはその左腕の軽さに戸惑っていたが、坂本龍一の感性を自分でも体験したくて、はずし続けた。
 それでも時がたてば慣れるもので、数年後、仕事の都合上、どうしても腕時計の装着が必須になるころになってようやく、左腕の重さとエネルギーの奪われる感じを体感することができた次第である。

 思春期後半、私は坂本龍一に感化されていたのであった。
 その結実ともいえるのが、「LIFE」であった。

 実は、TOKYOのは、観にいってました。
 かなり割安の「学生席」が買えたので。

 学生席は、座るとステージ上は全く見えなくなる、かなり虐げられた、というか、その値段なら当然か、という座席だった。
 頭上には2階席がせり出しており、私の身長でぎりぎり頭がぶつからない程度だったので、少し上背のある友人は、常に中腰の姿勢でないといけないのだった。

 それでも、私たちは興奮していた。
 
 …

 どうもあれ以来、彼はエコロジーとか平和とか、そういう社会性が強く表れるようになった気がするのだけど、「年をとった、ってことじゃない?」などと私の友人は言っていた。そうかもしれない。そうじゃないかもしれないけど。

 いずれにせよ、坂本の坂本たるゆえんは、その活動の意義とか使命とかそういう要因ではなく、LIFEにも、アジエンスにも、子猫物語にも一貫して流れる「坂本らしさ」に起因しているのだろうと思う。そんなところにこだわっていると批評にならない、のかもしれないが、それでもいいです、もう、だってわたしはかつて彼に心酔していたのだから、批評はともかく、批判なんてできそうにない。 


 東儀秀樹以来の、日本の「邦楽」回帰ブームは、今どうなっているのだろうか。

 さても、毎年、新春ともなると、この春の海をテレビやらラジオやらで聞かない日はないのではないかと思うほどであるが、気がつくとこの箏曲はメディアから消えている。…いつの間に?やはり目安は七草の日なのだろうか。記憶にない。

 さて、私が学生時代にすごしていたちょっとこぎれいなアパートは、住宅地の只中にあって、平日昼間からのんびりしていると、実にほのぼのできていた。
 当時、まだ教養学部生だった私は、前年に単位を取り巻くってしまっており、バイトと部活動とだらだら過ごす毎日だった。特に、火曜日は夕方から部活があったものの、基本的に昼間は何もないことが多く、陽がだいぶ高くなってから目覚め、コーヒーをドリップし、たまにはホットケーキを焼いてみたりして、そしておもむろに本を読みふけっていたものだった。

 そして、必ず火曜日の10:30、それは唐突にはじまる。

 ♪みあげてごらん、よるのほしを…
 
 歌ではなく、大正琴の音色であった。しかも一人ではない。おそらく3-5人は同時に合奏しているであろう。
 その大正琴サークルはその後12:00まで途中に(多分)休憩を挟みながら練習をするのである。ときにおばさま達の遠慮のない笑い声がどっと響きもする。レパートリーは懐メロが多い。そして以外に数は少ない。毎週繰り返し繰り返し、同じ曲を合奏し続ける。

 その大正琴の音色は、宮城道雄の幽玄な音色とは異なり、ある意味チープな、たとえて言うならLPに対してソノシート的な違いを持っている。そして技術的には、ピアノに対してのピアニカ(鍵盤ハーモニカ)のような違いがある。
 
 まあきっとそういう気軽さが、長く主婦社会で市民権を勝ち得ている理由なのだろうが、私にとってはあのダルでぼんやりとしたあのブランチタイムとそのときのカーテンから差し込む陽光、そういうイメージを喚起する要素であるから、好きなわけではないけれど、やはり嫌いではない。むしろ少しセンチメンタルな気持ちになる。

 話は変わるが、昔、日本びいきのアメリカのロックバンド「ボンジョヴィ」が、日本をイメージしてつくったとかいう曲の(タイトル忘れた)スコアを見たことがあった。
 『KOTO』のパートがあり、当然、琴のパートは誰がやるんだ、という話になった。幸いといおうか、私の友人で京都出身の女子は「お琴・生田流の経験者」だったため、彼女に声をかけたのだが、にべもなく断られた。
 琴をたしなむ京女は、ボンジョヴィみたいに暑苦しいロック魂とは相容れないのかもしれない。
(inst.)
恋のカマイタチ
誰かさん
リュウグウノツカイ
海を渡って
ココロノブラインド
ナイト ドライブ
very sleepy!! (inst.)
くるくる
ORIGINAL COLOR- version [si:] ?
Saturday
See You In My Dream
50past 12(AM)(inst.)
PINK
ビーフシチュー

 実はまだ買っていない。でも買うつもりではいる。
 視聴した限りではあるが、おやおやミスチル意識かい?と思うのだが、彼の努力というかやる気を買いたいのだ。
 
 おそらく相方のように、あくまでジャニーズの範囲内で活動するほうが、楽だし、この世界では息が長いのかもしれない。
 でも不器用に「自分のやりたいこと」を追求し、ちょっと引きこもりっぽい彼を応援したいものです。

 がんばれーがんばれー。
 オジーオズボーンなど聴いていたころ、なぜかジャケ買いしてしまったこのCD。

 彼らはまさに彗星のようだった。
 …などというと、ちょっと恥ずかしさすらあるが。

 このアルバムの中で私が好きだったのは「greatful when you are dead」だったのだが、そーいやジョジョの奇妙な冒険の中にも「グレイトフルデッド」とかいうスタンドが出てきていたが、それは関係あるのだろうかと当時はぼんやり思ったものである。

 最後のアルバムとなる(といっても2枚目だが)作品は、なんだがとってもインドかぶれだったし、その後間もなくして、解散→ベストアルバム発売となってしまった。至極残念である。

 大学の軽音サークルのちょろいライブを友達と見に行ったとき、なぜかメンバー4人全員がリクルートスーツという衣装でどちらかというとおっさんばかりの、要は、当時のその世代の「かっこよさ」からかなり離れた人たちが、かなり上手に「greatflu when you are dead」と「Hush」を演奏したときのかっこよさには身震いしたほどだった。

 結局、彼らの発売したベストアルバムよりも、この「K」が私にとってのベストアルバムであった。…クーラシェイカーの。

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