停滞でも疾走でも跳躍でもなく


 くるりを聴いていて思い浮かぶのは、例えば映画「ブエノスアイレス」のワンシーンである夜のブエノスアイレスの定点カメラ、早回し、みたいな。雑踏の中で立ち止まった印象である。

 脱力しているようでいて、なかなかに戦略的な曲が多い。
 停滞し、内向していく訳でもなく。時代や世相に合わせて疾走するのでもなく。時代や自分の内省を跳躍するのでもなく。
 爆発的なちからを持たず、蓄積せず。消耗しないが消費をし。
 世界は破壊すべきものでも、迎合すべきものでも、超越すべきものでもなく、観察し、ときにそこに会わせ、ときに少しだけ反発してみる、といったような。

 全然古いのだけど、岡野玲子「ファンシィダンス」のなかの、陽平がお山から降りてきてパチプロとかやって無茶苦茶に行きている時に、最愛の人真朱サンに説明した『都会』の印象、
「都会の時間の流れ方は、同じ早さで歩いてないと不安になる、立ち止まるとTVの砂嵐のようにまわりが全くつかめなくなる、だから自分はいま、敢えて立ち止まっているのだ」(うろ覚え)
という一コマを思い出してしまう。なんとなく。

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