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ゑひもせす 新訂版 杉浦 日向子
2006年5月3日 古代人の涙壺
それで、世間様はゴールデンウィークなところ、わたしは杉浦日向子ウィークなのであるが、このひとの漫画が寝る前の瞬間にふさわしいと思うのは、「淡々と」しているからか。
江戸の日常、なんてわたしには知る術もないが、おそらく、おそらく彼女の漫画はその日常の続きで始まり、日常へ続いて終わるのである。どかんとした爆笑をさそう場面もなければ、そこはかとなく涙あふれる場面もない。
そこにあるのは「くすり」「にんまり」したくなるのんびりと愉快な場面や、「んー」とちょっぴり神妙な心持ちになってしまうやや切なげな場面である。
それらはいつも、長屋の立て付けの悪い扉や、湯屋の二階や、人々の行き交う橋の上、下級武士の竹光、遊び人の本田髷、遊女のキセルの羅宇に、縁側の猫に、家庭に一冊・吉原細見に、町娘の袖に、そういうものによって瞬間、切り取られているかのようだ。
短編が多いのであるが、それはどれも、「主題はこうだッ」という押しはなく、そのラストシーンはいつも続きがありそうななさそうな日常感に溢れている。言いたいことを言い切らない、いっそ言いたいことないわさ、とさらっと言わんばかりの江戸の潔さが、杉浦日向子の漫画全体に広がっているようだ。
きっと、それが粋なのだと、少しの哀愁を秘めた潔い爽やかさとともに、眠りにつく。
江戸の日常、なんてわたしには知る術もないが、おそらく、おそらく彼女の漫画はその日常の続きで始まり、日常へ続いて終わるのである。どかんとした爆笑をさそう場面もなければ、そこはかとなく涙あふれる場面もない。
そこにあるのは「くすり」「にんまり」したくなるのんびりと愉快な場面や、「んー」とちょっぴり神妙な心持ちになってしまうやや切なげな場面である。
それらはいつも、長屋の立て付けの悪い扉や、湯屋の二階や、人々の行き交う橋の上、下級武士の竹光、遊び人の本田髷、遊女のキセルの羅宇に、縁側の猫に、家庭に一冊・吉原細見に、町娘の袖に、そういうものによって瞬間、切り取られているかのようだ。
短編が多いのであるが、それはどれも、「主題はこうだッ」という押しはなく、そのラストシーンはいつも続きがありそうななさそうな日常感に溢れている。言いたいことを言い切らない、いっそ言いたいことないわさ、とさらっと言わんばかりの江戸の潔さが、杉浦日向子の漫画全体に広がっているようだ。
きっと、それが粋なのだと、少しの哀愁を秘めた潔い爽やかさとともに、眠りにつく。
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