そうはいっても、誰も信じてくれやしないとは思うが、実際のところわたしは意外と人見知りで、不特定多数との人付き合いは比較的苦手である。

 まあ、そんなわたしがちょっぴり古巣とはいえ、新しい環境で一日平均14時間も過ごすのだから、なんというか、疲れがたまらないわけがない。

 そして、寝る前の20分ほど、引っ越しを繰り返すたびに増殖を実感する本棚のケースから、微妙に分類された文庫本たちをとりだし、読みながら眠りの時を待つのがほぼ日課である。

 (ひさしぶりの更新だけれども、なんだかしっかり日記風の書き出しではないか)

 で、いまは杉浦日向子週間である。
 故人が紡いだ江戸の風景は、なんだか疲労した気持ちをほわーんとさせるように、ちょっといい話とか、ちょっと切ない話とか、その野暮じゃない風味が心地よいのである。
 
 根元的にはわたしも熱血なのだろうが、それでもしかし、熱血を全面に展開して全く恥ずかしくない熱血漢というのに対して、どうしてときにうんざりといらいらとさせられるのだろうか。
 それは、きっと、熱血さを前に出すのは野暮で、クールでいながら実は熱血のほうが粋だからだろう。黒い羽織に緋縮緬が当時とっても粋だったのと同じか。

 さても、現代のわたしは通人にもなれず、粋でもなく、かといって野暮でもなく、そう、幇間のような、えへへ、旦那、今日もいい月でござんすねえ、なんてやってる三枚目の芸達者くらいなんだろうね。

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