IV〜聖なる剣 TOTO
2004年10月13日 invention and sinphonia
忘れもしない、(といいながらも)おそらくあれは82年、ラジオからはAfricaが流れていた。私はまだ非常に幼く、姉の部屋から漏れるそのラジオのおんがくは、記憶の片隅に残っている程度であった。
そのTOTOに、中学生、思春期の私は再会することになる。
ジェットストリームか何かで特集されていたのか、やはり同じFMの電波からTOTOは流れ込んできた。Africaだった。
思春期、まだ感受性が豊かだった私は、そんなに動物が大好きでもなく、アフリカどころかサファリパークすら行ったことがないくせに、アフリカの大地を思い浮かべては、訪れる朝焼けに長い影をのばす木、早起きの動物たち、しとふる雨を感じていたものだった。
そんなわけで、このアルバムは私にとって思い出の一枚になっているのだけれど、私がフリッパーズギターをたしなむようになったきっかけを与えた当時の友人ゆきちゃんは、「彼らはバンド名を決めるときに、日本人に受けそうな名前にしようと思って、日本でよく見かける名前にしたらしいよ。」
…つまり、東洋陶器ですか。
おそらくその名前をよく見かける場所というのがレストルームであったとしても、それはそれ、TOTOへの思いは動じないのである。
スタジオミュージシャンの集まりだったせいか、TOTOは脱退・メンバー入れ替えを繰り返す。っていうか、ボーカルがいつも違う。でも生まれてくる音はTOTOだった。
確か、90年代の終わり頃、ドラムのジェフ・ポーカロが全米ツアー直前に庭で除草剤を使っていて中毒か何かを起こして急死した。日本ではデビューライヴで一緒に演奏してもらったSing Like Talkingが追悼の歌を作った。TOTOは終わったかと思った。
しかし、もううろ覚えだが、結構前にTOTOのギタリストがボーカルまで兼任してアルバムを出していた気がする。「Don’t chain my heart」とかなんとか。それまでのTOTOのイメージを大きく変える骨太なアルバムだった。
どんなボーカルが参加しても守られてきた「TOTOらしさ」が変革したきっかけが、もともとのギタリストだった、ということが感慨深い。外部からの変革ではなく、内部からの革命、内部からの破壊、まさしく北斗神拳。Youはshock。
疲労のせいか、脈絡がない。
テレビではアフリカの動物たちが「Africa」をバックに草原に横たわっている。わたしの上にも潤いの雨が降り注ぐとよいのだけれど。
そのTOTOに、中学生、思春期の私は再会することになる。
ジェットストリームか何かで特集されていたのか、やはり同じFMの電波からTOTOは流れ込んできた。Africaだった。
思春期、まだ感受性が豊かだった私は、そんなに動物が大好きでもなく、アフリカどころかサファリパークすら行ったことがないくせに、アフリカの大地を思い浮かべては、訪れる朝焼けに長い影をのばす木、早起きの動物たち、しとふる雨を感じていたものだった。
そんなわけで、このアルバムは私にとって思い出の一枚になっているのだけれど、私がフリッパーズギターをたしなむようになったきっかけを与えた当時の友人ゆきちゃんは、「彼らはバンド名を決めるときに、日本人に受けそうな名前にしようと思って、日本でよく見かける名前にしたらしいよ。」
…つまり、東洋陶器ですか。
おそらくその名前をよく見かける場所というのがレストルームであったとしても、それはそれ、TOTOへの思いは動じないのである。
スタジオミュージシャンの集まりだったせいか、TOTOは脱退・メンバー入れ替えを繰り返す。っていうか、ボーカルがいつも違う。でも生まれてくる音はTOTOだった。
確か、90年代の終わり頃、ドラムのジェフ・ポーカロが全米ツアー直前に庭で除草剤を使っていて中毒か何かを起こして急死した。日本ではデビューライヴで一緒に演奏してもらったSing Like Talkingが追悼の歌を作った。TOTOは終わったかと思った。
しかし、もううろ覚えだが、結構前にTOTOのギタリストがボーカルまで兼任してアルバムを出していた気がする。「Don’t chain my heart」とかなんとか。それまでのTOTOのイメージを大きく変える骨太なアルバムだった。
どんなボーカルが参加しても守られてきた「TOTOらしさ」が変革したきっかけが、もともとのギタリストだった、ということが感慨深い。外部からの変革ではなく、内部からの革命、内部からの破壊、まさしく北斗神拳。Youはshock。
疲労のせいか、脈絡がない。
テレビではアフリカの動物たちが「Africa」をバックに草原に横たわっている。わたしの上にも潤いの雨が降り注ぐとよいのだけれど。
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