残業で疲れた体を引きずるようにして真っ暗な部屋にたどり着き、なぜかもの寂しく何か明るい音が欲しくてTVをつけると、「元祖ウォーターボーイズ/川越高校水泳部の文化祭」みたいな特集の終わり頃だった。そのまま見ることにする。

 彼らはとにかく燃えていた。練習し過ぎで剥離骨折をする1年生、受験勉強はそっちのけで最期の夏を燃え尽きようとしていた。
 
 燃えている少年たちは、驚くほどかわいらしくキラキラしている。彼らの中で昂揚するエネルギーは肉体にはとどまらず、いつも外へ向かって発散するオーラとなってその場の空気に気流をもたらす高気圧のようであり、それらはおバカなくらいの積乱雲となるのである。

 少年たちは、悉く燃えようとしている。
 
 川越高校ではないが、ある高校生が「手を切った」といいながら、タオルを真っ赤にして現れた。「どこでどんなふうに手を切ってしまったの?」と問うと、照れくさそうに、もうすぐ文化祭でダンスをするのだが、練習場所の割当が狭い地学室であり、そこで手を振り回したら机の角にぶつけて切れた、と語った。
 そんなばかな、という状況下で怪我をし、手から血をだらだら流して、それでも照れくさそうに、明日からまた練習できますか?などと聞いてくるから全く、罪なやつである。思わず、丁寧に縫っておくから痛くなければいいよ、と言ってしまった。

 文化祭前日に、風邪をひいて高熱を出した少年も、点滴をしながら薄暗い処置室で、熱で潤んだ目で、あすから文化祭なんですけど学校に行ってもいいですか?どうしても出たいんです、などと訴えるものだから、自分の体なんだから最後は自分で決めていいよ、本当は休んでほしいけど、と言ったら、嬉しそうに熱は今夜中に下げてみせるから、と言って眠りについていた。

 柔道で膝を痛めて入院した少年のもとに、部活の先輩がお見舞いにきていた。その先輩は入院している少年より少し小柄であったが、仏頂面で私に会釈した。少年は、先輩はすぐに帰るっていってたけど引き止めて話してたんだ、と笑顔でいいながら、先輩のひらひらした制服のシャツの裾をベッドから伸ばした手でなんとはなしに玩んでいた。
 私は一瞬のその光景に、ふと「仮面の告白」の鉄棒のシーンなぞを思い出してしまったのだが、 おそらくこの二人の間にはそういう気持ちはなかろうと思う。

 さてさて、私の思考はその後、「走れメロス」に波及した。
 メロスはなぜ走ったか?はよくテーマになっている。そしてセリヌンティウスはなぜメロスを待ったのか?
 少年たちはみな、己を燃やし尽くすための場所を求めているように見えるときがある。それは文化祭であり、シンクロでありダンスであり、柔道であり、もしかしたら書物とか勉強とか音楽とか演劇とか、そういうものかもしれない。
 
 燃えることの出来ない屈折した少年は燻っているようにみえることがある…くすぶり、それは火種を抱えているのに発火できないもどかしさのことだ。 

 いずれにせよ少年たちは悉く燃えようとする。
 太陽を求め焦がれ、ついには太陽に同化するかのごとく立ち枯れする向日葵のように。 
 

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