さて、少し前にクサマトリックスについて記載したのだが、中途半端な状態になってしまっていた。

 草間弥生はとにかく芸術家なのであろう。
 彼女の作品は日常に潜めない。
 「自分は他の人とは違うんだ」という思いのある人にとっては草間弥生は突き抜けた芸術家に見えるだろうし、「自分は普通の人なんだ」と思っている人あるいは日常に世間になじむためにそう思おうとしている人にとっては異常者に映る。

 日本では異常-正常の境界に線を引こうとする…しかし果たして、そこに境界線は存在するのか。

 その議論はここではやめておきたい。
 彼女の芸術はそのマージナルゾーンを揺さぶるのである。これは芸術か、あるいは狂気か。

 水玉ブラックライトのリビングルームは、やはり一般の住空間ではありえない。日常のリビングという場に彼女の境界例的テイストが加わると、人々は恐怖するのだ、自分の正常を脅かされる気がして。

 草間弥生は異質であり続ける。受諾されようとも拒絶されようとも、やはり異質なのである。
 自身に「異質感」を抱いている人にとって彼女はあこがれの人ではあるが、自身に「普通」という生き方を提唱している人にとっては侵入者である。

 さて私は、というと、異質な領域へと絡めとろうとする草間弥生の「無限の網」を身を掠めるような近さを感じながらも避わして、あくまで境界域に身を潜めるのだ、受諾もせず・拒絶もせずに。

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