幼い頃、この世のすべてを知りたいと思っていた。
 大人になるということは知ることが増えていって、知識人としての完成型に至ることだと思っていた。
 
 しかし、それは夢想だったのだと、大人に近づくにつれ知ることになる。

 だが、それでも、「知識」というものに対する飽くなき憬れは確かに私に残っていた。その残滓に背を押されるように、私はちょっとした「博物学」に惹かれてしまう。

 それが、荒俣宏と澁澤龍彦だった。

 著者は本書の前書きでこのように記している。

 「もうずいぶん古い話になったけれども、かつて異端や博物学の分野にあって神のように崇敬を集めていた故澁澤龍彦大魔王が、いちどだけ、筆者の目の前まで降臨したことがあった。それは『フローラ逍遥』の挿絵に使えるような古い植物図を所持せるや否や、と、筆者に下問あったのである。当時はろくな図譜を所持していなかったが、その後、筆者は一念発起して植物図譜をあつめだした。澁澤大魔王がいずれ第2の花の本を書かれる際、今度こそは喜んでもらえる傑作が手渡せるように、と願いつつ。
…だが澁澤大魔王は筆者の集めた図譜を見ることもなく鬼籍に入られた。本書は、本来ならば、澁澤龍彦その人が手がけるべきテーマの書物であるはずだ。あの『フローラ逍遥』に一歩でも近づこうと努めたが、いまだ力及ばず、ただ畏れつつも冥府なるわが大魔王に本書を捧げるよりほかはない。」

 …さて、引用が長くなった。要は、古今の花図譜とそれにまつわる蘊蓄の本なのである。

 最近、ウンチクとかトリビアとか、そういう「役に立ちそうで立たない知識」が評判のようだが、それは人に根源的に宿る知識欲求をくすぐっているからだろう。
 そしてそういう欲求に忠実に「知識」を追い求め、博物学に至ったのが、私が敬愛してやまない澁澤龍彦と荒俣宏だと思っている。

 この本に掲載されている本の中にはもちろん、花空=架空の花や植物もある。まったくもって、マニアックでお洒落な本ではないか。

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