ここのところ天気のあまり良くない日が続く。そんなときの空は、私の故郷であると同時に、安吾の故郷でもある、冬の新潟の空を思い出すというものだ。空と海は境目をなくし、ただ一様に重い灰色がのしかかり、その空気の湿度は高くジメジメとまとわりつくようだった。
こんな暗い日ににふと時間が空いたので、休憩時間にこっそりと安吾全集(5)を取り出し、読みやすそうな短編を拾いだす。景気付けに「花火」を読むとしようか。
さて、浮気とはどのラインを超えることをさすのであろうか?…気持ちが動いたらアウトなのか、キスなのか、セックスなのか、…私の友人には「外で子供を作らなければ、別に」と言う剛毅な女もいる。
そしてどうも、この「花火」のヒロイン・ノブ子は定義としては「セックス」を浮気のラインに用いると見せかけて、実際は「官能」こそが浮気のラインであると意識下では認識しているようだ。
面食いなノブ子は勢いで金持ちで太っ腹だが醜男の木村と結婚し、役者たち、とくにミン平という貧相な小男だがイケメンの役者に入れあげ、パトロンとなる。
ノブ子にとってセックスによる官能はむしろ嫌悪の対象であり、彼女にとって真の官能は…美男子を見かけたりミン平と腕を組んだりするときにグイグイと彼女を持ち上げぼうっとさせる何か、であった。
しかもこのノブ子、こういった話を夫である木村にしつつ、しらっと
「私は結局浮気なんかできないたちよ。あなたを裏切る度胸がないのよ」
言い切るのである。
この時点で明らかにノブ子はミン平に恋している。実際、その後の展開で、急に性欲をあらわにするミン平に対して、それまでの自説を翻して、こう望むのである。
「…私は女だから、とっさに、びっくり恐れているような構えになるのだろうが、私は然し、ミジンも怖れてはいなかったのだ。私はまったく妖しさにいちずに酔って堅くなっていた。私はむしろ祈った。彼が、うまく、やってくれればよい、と。
嫌らしさや、助平たらしさや、みすぼらしさを表さずに、堂々と私を征服してくれればよい、と。失敗するな、成功して、と。」
ある意味、ノブ子は現代的な女なのかもしれない…この身勝手さ、自己中心性は、バブル期のイメージを背負ったボディコン女という類型と何ら変わらない気がするではないか。
決して望んでいた訳ではない打算的な結婚、それから生まれる浮気願望。男、というよりはその男が持つ金銭に服従し、然しその一方で金銭にまみれた醜男を蔑みながら、自分がいいように扱える立場の弱い男にしなだれかかり誘惑を試みる。然し同時に男というものに美しく蹂躙されたいと願っているのだ。
それはすべて、自己中心的な欲望である…しかしノブ子はその欲望すべてにもっともらしい言い訳や説明を用意して、正当化を図ろうとする…ノブ子の(おそらく美人)まえでは、男たちはただ女の欲望を満たすために存在するよりほかにない。
「私は酒には酔えない。男の美しさ妖しさの花火には酔える。その花火には、私の理知は無力であった。」
貪欲に激しい女。
しかし、ミン平はノブ子に欲情したというよりは、彼女と別れ自殺するつもりでいたため逆上していたのである。結局彼は悄然と弱々しくうなだれノブ子に詫びることとなる。
そして、ノブ子は生を投げ出した男の深い目、美しい目に逆上し、興奮して、ついに男の首をカミソリで切ってしまう…しかもその血しぶきの激しさにミン平の愛情を感じ取ってしまうのだ。
このような女は決して満たされないのだろう…満たされることを外界に、男に求めている限りは。彼女が満たされたのは、最期に彼女がミン平に何かを与えようと…正確には死に水を取らせようと、自らの首を切り、その血をもってミン平の死に際の乾きをいやそうとしたときだった。
「私の血の噴水が彼ののどの乾きをみたす楽しさに、私はうれしかったのだ。私の胸は燃えていた。そして冷たく、冷静だった。そして、すべてが、わからなくなった。」
激しい恋が、死や血によってしか収束できない愛が、究極の恋愛だとは思いたくない。
確かに美しいのかもしれない。美しい瞬間を激しさだけで切り取るのだから。
しかし、これは究極の愛ではない。単に愛の一つの形に過ぎない。人それぞれ向き不向きがあるというものだ。
ただおそらく確かなことは、満たされないことを嘆いて、救いを求めているうちは、決して満たされることはないのであろうということだ。一瞬、満たされた気がしても、それは次の欲望や満たされない喪失感を呼ぶばかりで、また次なる何かを求めてしまう。
貪欲なノブ子が、満たされたのは、唯一、自らの血を持って愛する男を満たそうとした瞬間であった。彼女はその瞬間において聡明で、冷静で、情熱的で、そして愛に満ちていた、と、私はそう思う。
ノブ子は花火を愛した。
花火の美しさはよくわかる。壮大で、豪奢で、華やかで、鮮やかで、そして儚い。
でも、私に花火は愛せない。美しく儚いからこそ、「愛してはいけない」気がしてしまうのだ。儚いものを愛するとき、そこには喪失感が絶対的に存在し、そのあとの空虚さ、寂しさに震えるという永遠回帰する欲望と愛情と喪失を辿らねばならなくなる。
では、何を愛する…?そう、その美しさと儚さを表現する一瞬のために労力を惜しまない花火職人、彼は決していい男ではないだろうけれど、おそらく死をもって自分を燃やし尽くすことはない、ひたむきな努力家…いやすなわち、安吾を愛そうではないか…!
こんな暗い日ににふと時間が空いたので、休憩時間にこっそりと安吾全集(5)を取り出し、読みやすそうな短編を拾いだす。景気付けに「花火」を読むとしようか。
さて、浮気とはどのラインを超えることをさすのであろうか?…気持ちが動いたらアウトなのか、キスなのか、セックスなのか、…私の友人には「外で子供を作らなければ、別に」と言う剛毅な女もいる。
そしてどうも、この「花火」のヒロイン・ノブ子は定義としては「セックス」を浮気のラインに用いると見せかけて、実際は「官能」こそが浮気のラインであると意識下では認識しているようだ。
面食いなノブ子は勢いで金持ちで太っ腹だが醜男の木村と結婚し、役者たち、とくにミン平という貧相な小男だがイケメンの役者に入れあげ、パトロンとなる。
ノブ子にとってセックスによる官能はむしろ嫌悪の対象であり、彼女にとって真の官能は…美男子を見かけたりミン平と腕を組んだりするときにグイグイと彼女を持ち上げぼうっとさせる何か、であった。
しかもこのノブ子、こういった話を夫である木村にしつつ、しらっと
「私は結局浮気なんかできないたちよ。あなたを裏切る度胸がないのよ」
言い切るのである。
この時点で明らかにノブ子はミン平に恋している。実際、その後の展開で、急に性欲をあらわにするミン平に対して、それまでの自説を翻して、こう望むのである。
「…私は女だから、とっさに、びっくり恐れているような構えになるのだろうが、私は然し、ミジンも怖れてはいなかったのだ。私はまったく妖しさにいちずに酔って堅くなっていた。私はむしろ祈った。彼が、うまく、やってくれればよい、と。
嫌らしさや、助平たらしさや、みすぼらしさを表さずに、堂々と私を征服してくれればよい、と。失敗するな、成功して、と。」
ある意味、ノブ子は現代的な女なのかもしれない…この身勝手さ、自己中心性は、バブル期のイメージを背負ったボディコン女という類型と何ら変わらない気がするではないか。
決して望んでいた訳ではない打算的な結婚、それから生まれる浮気願望。男、というよりはその男が持つ金銭に服従し、然しその一方で金銭にまみれた醜男を蔑みながら、自分がいいように扱える立場の弱い男にしなだれかかり誘惑を試みる。然し同時に男というものに美しく蹂躙されたいと願っているのだ。
それはすべて、自己中心的な欲望である…しかしノブ子はその欲望すべてにもっともらしい言い訳や説明を用意して、正当化を図ろうとする…ノブ子の(おそらく美人)まえでは、男たちはただ女の欲望を満たすために存在するよりほかにない。
「私は酒には酔えない。男の美しさ妖しさの花火には酔える。その花火には、私の理知は無力であった。」
貪欲に激しい女。
しかし、ミン平はノブ子に欲情したというよりは、彼女と別れ自殺するつもりでいたため逆上していたのである。結局彼は悄然と弱々しくうなだれノブ子に詫びることとなる。
そして、ノブ子は生を投げ出した男の深い目、美しい目に逆上し、興奮して、ついに男の首をカミソリで切ってしまう…しかもその血しぶきの激しさにミン平の愛情を感じ取ってしまうのだ。
このような女は決して満たされないのだろう…満たされることを外界に、男に求めている限りは。彼女が満たされたのは、最期に彼女がミン平に何かを与えようと…正確には死に水を取らせようと、自らの首を切り、その血をもってミン平の死に際の乾きをいやそうとしたときだった。
「私の血の噴水が彼ののどの乾きをみたす楽しさに、私はうれしかったのだ。私の胸は燃えていた。そして冷たく、冷静だった。そして、すべてが、わからなくなった。」
激しい恋が、死や血によってしか収束できない愛が、究極の恋愛だとは思いたくない。
確かに美しいのかもしれない。美しい瞬間を激しさだけで切り取るのだから。
しかし、これは究極の愛ではない。単に愛の一つの形に過ぎない。人それぞれ向き不向きがあるというものだ。
ただおそらく確かなことは、満たされないことを嘆いて、救いを求めているうちは、決して満たされることはないのであろうということだ。一瞬、満たされた気がしても、それは次の欲望や満たされない喪失感を呼ぶばかりで、また次なる何かを求めてしまう。
貪欲なノブ子が、満たされたのは、唯一、自らの血を持って愛する男を満たそうとした瞬間であった。彼女はその瞬間において聡明で、冷静で、情熱的で、そして愛に満ちていた、と、私はそう思う。
ノブ子は花火を愛した。
花火の美しさはよくわかる。壮大で、豪奢で、華やかで、鮮やかで、そして儚い。
でも、私に花火は愛せない。美しく儚いからこそ、「愛してはいけない」気がしてしまうのだ。儚いものを愛するとき、そこには喪失感が絶対的に存在し、そのあとの空虚さ、寂しさに震えるという永遠回帰する欲望と愛情と喪失を辿らねばならなくなる。
では、何を愛する…?そう、その美しさと儚さを表現する一瞬のために労力を惜しまない花火職人、彼は決していい男ではないだろうけれど、おそらく死をもって自分を燃やし尽くすことはない、ひたむきな努力家…いやすなわち、安吾を愛そうではないか…!
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